原宿はもうファッションの街ではない

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最近、原宿へ出かける用事があり、街を探索してみると驚いたことがある。原宿の街がスポーツアパレル店に変貌していたことだ。

原宿は日本の高度経済成長の象徴だった。1960年代の急成長によって日本のファッションが欧米化した。

日本の欧米化したファッションセンスは、原宿の若者から日本中に発信され、日本のみならず世界中にまで行き渡ることとなった。

ところが、今はそれがないのである。

原宿の街はスポーツアパレル店とGAPなどのブランド物の店しかなくなった。

原宿の街が変貌した原因として、一部の識者がSNSよるオンラインでのコミュニケーションの普及を挙げているが、それは間違いである。

SNSが普及するだけなら原宿がスポーツアパレル店ばかりになった理由を説明出来ない。

調べてみると日本の構造上の問題が透けて見えてきた。

日本のアパレル業界を見ると2009年の世界同時多発不況時に廃業率が最も高くなっている。また、同時期にGAPが原宿に参入している。GAPはユニクロと同様、安い製品を一律に提供し、消費者を惹きつけてきた。

さらにスポーツアパレル業界として見ると2012年まで5000億円を下回っていたはずが、2013年より急激に5000億円を上回っている。この年は東京オリンピック開催が決定された年だ。

日本の20代の若者はバブル期まで服というコンテンツを通した創造力でアパレル業界の成長を促していた。

それが、一律スポーツ店となり、どこの店も同じ様なものを扱っているのだ。しかも、通りを歩く人は無彩色が多い、地味な格好をしている。

これは、日本人の創造力が急速に衰えてきていることを意味している。

自らの内発的な発想に基づく発想より、外部の要求を重視しているのだ。それが、「服」を通した発想力から「東京オリンピック」という社会観を重視した格好だ。

でももしかしたら、東京オリンピックによる一時的な社会現象だという見方もあるかもしれない。

しかし、それも間違いである。

日本人は平均給与と年金支給の減少により、服にお金を出す贅沢をする余裕もなくなってきた。

それが結果的にアパレル業界の低迷を招き、スポーツ店だらけの街にしてしまったのだ。

原宿の変貌は沈みゆく日本の状態を映し出しているのだ。